2022年06月13日
百日紅の種
前回の記事を昨年8月に百日紅の花の画像付きでアップしましたが、
今年3月、その百日紅の花の後の実が茶色くカラカラになって、
よく見るとタネらしきものがあったので
少ないけど取れるだけ取ってみました。


早く蒔いてみたいのだけど、
種まき適期が11月なのでお預け状態です。
秋になったらタネ蒔きするつもり。
苗から植えるよりも、挿し木よりも
かなり時間がかかるだろうけど、気長にやってみようかな。

今年3月、その百日紅の花の後の実が茶色くカラカラになって、
よく見るとタネらしきものがあったので
少ないけど取れるだけ取ってみました。
早く蒔いてみたいのだけど、
種まき適期が11月なのでお預け状態です。
秋になったらタネ蒔きするつもり。
苗から植えるよりも、挿し木よりも
かなり時間がかかるだろうけど、気長にやってみようかな。
2021年08月15日
ちぇすとブログさんのブログ一覧
こんにちは、雪見月です。
お久しぶりのチェストブログです。
こちらでは1年以上ご無沙汰していました。
最近は本宅ブログとサブのブログ、
それにFBをメインでやっているのですが、
みなさんはいかがですか?
ちぇすとブログのブロガーさんには
どんな方がいて、どんな記事を書いていらっしゃるのか
以前見たところの印象としては
ハンドメイドの作品をブログにあげてる方が多いなぁ
と、それとお店関係?
以前も気になって「カテゴリ/地域」で見てみたのだけど、
なかなか絞れないし時間がかかりすぎるなぁと‥‥。
そこで今日はちょっと
「ちぇすとブログ」のブログ一覧で見てみたんです。
(ちなみに、今日現在で9,279ブログあるようです)
すると、「最新記事」の日付が‥‥
結構更新されていない方もいらっしゃる。
地元だから身近で良いところもあるけど、
地元だからちょっと気を使うところも
あるかなぁ、とも思いつつ、
せっかくブログ作ったのだから、
やっぱり上手いこと楽しみたいなぁと思うのです。
ということで、またこちらでも
気ままに気楽に書いていこうと思います。
お久しぶりのチェストブログです。
こちらでは1年以上ご無沙汰していました。
最近は本宅ブログとサブのブログ、
それにFBをメインでやっているのですが、
みなさんはいかがですか?
ちぇすとブログのブロガーさんには
どんな方がいて、どんな記事を書いていらっしゃるのか
以前見たところの印象としては
ハンドメイドの作品をブログにあげてる方が多いなぁ
と、それとお店関係?
以前も気になって「カテゴリ/地域」で見てみたのだけど、
なかなか絞れないし時間がかかりすぎるなぁと‥‥。
そこで今日はちょっと
「ちぇすとブログ」のブログ一覧で見てみたんです。
(ちなみに、今日現在で9,279ブログあるようです)
すると、「最新記事」の日付が‥‥
結構更新されていない方もいらっしゃる。
地元だから身近で良いところもあるけど、
地元だからちょっと気を使うところも
あるかなぁ、とも思いつつ、
せっかくブログ作ったのだから、
やっぱり上手いこと楽しみたいなぁと思うのです。
ということで、またこちらでも
気ままに気楽に書いていこうと思います。

2020年06月18日
皇徳寺跡へ再び!からの〜白山神社!!
随分とご無沙汰です。いえ、それはいつものこと。
さて、先日久しぶりに「皇徳寺跡」を訪ねてきました。
と言っても、肝心の歴代和尚のお墓群まではたどり着けませんでしたが、、、。
☆画像は入り口付近のみ〜(笑)仁王像などは別ブログにあげる予定ですので〜

以前、このブログでも、2010年12月3日の南日本新聞に紹介された新聞記事を貼っています。
『歴史秘話ヒストリア 』( 2011. 2. 2 掲載 )

ん?よくよく読み返してみると「歯の神様」とあるけど、
近くの白山神社は何の神様でしたっけ?? 確か「目の神様」だったような‥‥?
神社庁HPより「白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)」通称:白山神社(はくさんじんじゃ)
昔撮った写真を探してみたら、ありました♪♪
2009年3月8日に「かごしま探検の会」で散策した時のものです。

この頃の画像をまた見直してみなくては!!
また別ブログに書くかもしれません〜
さて、先日久しぶりに「皇徳寺跡」を訪ねてきました。
と言っても、肝心の歴代和尚のお墓群まではたどり着けませんでしたが、、、。
☆画像は入り口付近のみ〜(笑)仁王像などは別ブログにあげる予定ですので〜
以前、このブログでも、2010年12月3日の南日本新聞に紹介された新聞記事を貼っています。
『歴史秘話ヒストリア 』( 2011. 2. 2 掲載 )

ん?よくよく読み返してみると「歯の神様」とあるけど、
近くの白山神社は何の神様でしたっけ?? 確か「目の神様」だったような‥‥?
神社庁HPより「白山比咩神社(しらやまひめじんじゃ)」通称:白山神社(はくさんじんじゃ)
昔撮った写真を探してみたら、ありました♪♪
2009年3月8日に「かごしま探検の会」で散策した時のものです。
この頃の画像をまた見直してみなくては!!
また別ブログに書くかもしれません〜

2019年10月31日
2019年01月12日
2019年 初春

今年もどうぞよろしくお願い致します

さて、去年書いた最初の記事は?
‥‥と、見るとなんと!! 3月が最初でした

『多賀山公園散策 in 2009』
しかも過去の記事を何年にも渡って放置‥‥。
「2009年11月10日に「多賀山公園へ」と題しておきながら、
内容が伴わないまま終わっていたので、
今度こそ写真満載でアップしたいと思います
(実は現在 2018年3月11日)」
‥‥などと書いている。。
やっと更新したのが
『多賀山公園へ−2』
いくつもブログを持っているので
どこに何を書いたやら、、相変わらずとっ散らかっています。。

テーマに沿って使い分けしながら、
今年はこちらのブログも
もう少し定期的に上げて行きたいと考えております♪
2018年07月11日
山形屋の焼きそば♪
今日、梅雨が明けた。
梅雨明け記念ではないが、梅雨の間の記録として。
6月25日、予約していた9月のコンサートチケットを買いに行った帰りに遅い昼食を摂った。
久し振りの山形屋食堂の焼きそば♪
何年ぶりだろう?

窓からの景色を確認。

予想はしていたけど、桜島がほとんど見えなくなっていた。。(涙)
※鹿児島銀行本店の建て替え工事中


電車(路面電車)道路側の通りに、丹下梅子博士の紹介碑があると聞いていたが、結局見当たらず、写真を撮影断念。
もしかしたら向かいの鹿児島銀行側にあるのかも?
再度、胸像だけ撮って帰った。

梅雨明け記念ではないが、梅雨の間の記録として。
6月25日、予約していた9月のコンサートチケットを買いに行った帰りに遅い昼食を摂った。
久し振りの山形屋食堂の焼きそば♪
何年ぶりだろう?
窓からの景色を確認。
予想はしていたけど、桜島がほとんど見えなくなっていた。。(涙)
※鹿児島銀行本店の建て替え工事中
電車(路面電車)道路側の通りに、丹下梅子博士の紹介碑があると聞いていたが、結局見当たらず、写真を撮影断念。
もしかしたら向かいの鹿児島銀行側にあるのかも?
再度、胸像だけ撮って帰った。
2018年06月05日
福昌寺墓地(4)鍋保丸(島津綱貴男子)、重豪夫人などの墓所
前回から少し日が経ってしまいましたが、いつもお読みいただきありがとうございます♪
さて、吉貴様の近くにある皆様のお墓の紹介を続けてきましたが、今回のシリーズはこれでおしまい。

☆鍋保丸=綱貴男子(左)と継豊女子(右)

中央に高く3基建っているのが左から敬姫(重豪女子)、重豪夫人、斉宣夫人

☆昨年の6月4日に福昌寺墓地へ行って撮って来た画像はこんな感じです。
斉興公と由羅様のお墓も撮ったつもりでしたが、これ以前に撮ったものだったようで今回のアルバムには入っていませんでした。
別ブログには過去にアップしているので、ご興味ありましたらご覧下さい。
ゆきのおと『福昌寺跡の島津家墓地に』(2008年5月17日撮影の画像あり)
と、いうことで、最初の久光公のお墓の前へ戻ってきました。ちょうど今頃の季節で紫陽花が綺麗に咲いていました。


次回また、斉興公と由羅様にご挨拶に伺おうと思います。

☆墓所入口の門を出て校舎の裏側をフェンス沿いに辿って行くと、縁の方々のお墓があります。
画像はありますが、今回はここまで。
折りをみて、直に墓石を間近に、それぞれに思いを馳せながらお参りしてみられると良いと思います。

さて、吉貴様の近くにある皆様のお墓の紹介を続けてきましたが、今回のシリーズはこれでおしまい。
☆鍋保丸=綱貴男子(左)と継豊女子(右)
中央に高く3基建っているのが左から敬姫(重豪女子)、重豪夫人、斉宣夫人
☆昨年の6月4日に福昌寺墓地へ行って撮って来た画像はこんな感じです。
斉興公と由羅様のお墓も撮ったつもりでしたが、これ以前に撮ったものだったようで今回のアルバムには入っていませんでした。
別ブログには過去にアップしているので、ご興味ありましたらご覧下さい。
ゆきのおと『福昌寺跡の島津家墓地に』(2008年5月17日撮影の画像あり)
と、いうことで、最初の久光公のお墓の前へ戻ってきました。ちょうど今頃の季節で紫陽花が綺麗に咲いていました。
次回また、斉興公と由羅様にご挨拶に伺おうと思います。
☆墓所入口の門を出て校舎の裏側をフェンス沿いに辿って行くと、縁の方々のお墓があります。
画像はありますが、今回はここまで。
折りをみて、直に墓石を間近に、それぞれに思いを馳せながらお参りしてみられると良いと思います。
タグ :福昌寺墓地
2018年05月19日
福昌寺墓地(3)第23代・島津宗信と その母・妙心院殿の墓
☆前回の『福昌寺墓地(2)第21代・島津吉貴公の墓所』末尾に「続きを読む」と表示されてるの、おわかりでしたでしょうか??
ちょっと分かりにくいと思い、別記事として、新たな画像を入れつつ、書く事にします。
※このブログの[追記]という機能を使ってみたのだけど、上手に使いこなせない。。
さて、福昌寺墓地、第3弾です。(画像は一部を除き2017年6月4日撮影)
☆第23代藩主・島津宗信様は22代・継豊様の長男。
母は渋谷喜左衛門貫臣の女子。お嘉久。妙心院殿。
宗信は、先に将軍吉宗の意向によって尾張藩徳川宗勝卿の姫君を夫人に迎える事になっていたが、寛延元年(1748年)姫君の逝去により、翌二年(1749年)その妹君を勧められこれを承諾。しかし宗信はその年病にかかり、七月十日、鹿児島鶴丸城に亡くなります。歳二十二でした。法名は慈徳院殿。
広く士民から「名君の器」と待望され、慕い敬われていたといいます。
(以上、島津顕彰会発行『島津歴代略記』より)
☆第23代・島津宗信に関連した読み物を「鹿児島県歴史資料センター黎明館」のHPから、PDFで読む事が出来ます。→『「古の遺愛」小考』
で、23代・宗信様のお墓は案内図の左中程にありますが、

今回写真を整理する中で、「妙心院」と刻まれた石碑を見つけました!宗信の実母です。

果たして、これが石碑なのか墓石なのか、またどこにあったものを撮ったのかは覚えていないし、その後確認に行っていないのでハッキリしません。
ただ、現地の案内図と、手許の『島津歴代略記』p.199の「長谷場御墓(福昌寺跡)略図』等を照合してみて、写真を検証し、分かった事もありました。
☆以下に並べてみます。
☆「21代・吉貴」のすぐ隣に吉貴公と同じくらい立派なお墓があります。
回り込んで後ろから撮影

☆「継豊 夫人」の墓です。但しこれは、よく知られている「竹姫」ではありません。

☆「21代・吉貴」の墓の向かって右奥に「竹姫」の墓はあります
※画像、右奥階段の上に竹姫の墓 (この1枚は2008年2月29日撮影)


☆したがって、「21代・吉貴」の隣の「継豊夫人」は宗信様の実母・妙心院殿だと思われます。
☆追記:(2022年7月5日 21:29記)
これについては間違いで、これは「瑞仙院殿」の墓のようです。
「妙心院殿」の墓は墓所の奥、「竹姫」の墓の更に奥に「継豊後夫人(宗信実母)」と福昌寺墓地案内図に表記があることを確認いたしましたので元記事はそのままに棒線にて訂正いたしました。また、「継豊後夫人」の墓はもう1基、重年公の墓の近くにあることも確認しております。こちらは福昌寺墓地案内図には「重年実母」とあるので「嶺松院殿」のようです。
また、継豊夫人の立派な墓のすぐ隣に少し小さめの墓石と石塔があります。
☆「吉貴 後夫人」の墓で、その後ろにある階段を昇ると宗信の墓があります。

↑この隣の石囲いの向こうも覗いてみました。
☆右から:虎寿丸・菊三郎(共に斉彬男子)、斉興夫人(弥姫。周子。賢章院殿)、右には「22代・継豊」の墓

第22代・継豊の墓

その周辺もご案内しましょう。
福昌寺墓地 案内図です。

☆第18代・家久(左奥)、第19代・光久夫婦(中央2基)、第20代・綱貴(右奥)

☆第18代・家久の手前にある、島津綱久(右:第19代・光久の長男で、第20代・綱貴の実父)と、その夫人・真修院殿(松山藩主 久松隠岐守定頼の女子。綱貴実母)

まだ続きますが、今回はこの辺で。
ちょっと分かりにくいと思い、別記事として、新たな画像を入れつつ、書く事にします。
※このブログの[追記]という機能を使ってみたのだけど、上手に使いこなせない。。
さて、福昌寺墓地、第3弾です。(画像は一部を除き2017年6月4日撮影)
☆第23代藩主・島津宗信様は22代・継豊様の長男。
母は渋谷喜左衛門貫臣の女子。お嘉久。妙心院殿。
宗信は、先に将軍吉宗の意向によって尾張藩徳川宗勝卿の姫君を夫人に迎える事になっていたが、寛延元年(1748年)姫君の逝去により、翌二年(1749年)その妹君を勧められこれを承諾。しかし宗信はその年病にかかり、七月十日、鹿児島鶴丸城に亡くなります。歳二十二でした。法名は慈徳院殿。
広く士民から「名君の器」と待望され、慕い敬われていたといいます。
(以上、島津顕彰会発行『島津歴代略記』より)
☆第23代・島津宗信に関連した読み物を「鹿児島県歴史資料センター黎明館」のHPから、PDFで読む事が出来ます。→『「古の遺愛」小考』
で、23代・宗信様のお墓は案内図の左中程にありますが、
今回写真を整理する中で、「妙心院」と刻まれた石碑を見つけました!宗信の実母です。
果たして、これが石碑なのか墓石なのか、またどこにあったものを撮ったのかは覚えていないし、その後確認に行っていないのでハッキリしません。
ただ、現地の案内図と、手許の『島津歴代略記』p.199の「長谷場御墓(福昌寺跡)略図』等を照合してみて、写真を検証し、分かった事もありました。
☆以下に並べてみます。
☆「21代・吉貴」のすぐ隣に吉貴公と同じくらい立派なお墓があります。
回り込んで後ろから撮影
☆「継豊 夫人」の墓です。但しこれは、よく知られている「竹姫」ではありません。
☆「21代・吉貴」の墓の向かって右奥に「竹姫」の墓はあります
※画像、右奥階段の上に竹姫の墓 (この1枚は2008年2月29日撮影)
☆追記:(2022年7月5日 21:29記)

「妙心院殿」の墓は墓所の奥、「竹姫」の墓の更に奥に「継豊後夫人(宗信実母)」と福昌寺墓地案内図に表記があることを確認いたしましたので元記事はそのままに棒線にて訂正いたしました。また、「継豊後夫人」の墓はもう1基、重年公の墓の近くにあることも確認しております。こちらは福昌寺墓地案内図には「重年実母」とあるので「嶺松院殿」のようです。
また、継豊夫人の立派な墓のすぐ隣に少し小さめの墓石と石塔があります。
☆「吉貴 後夫人」の墓で、その後ろにある階段を昇ると宗信の墓があります。
↑この隣の石囲いの向こうも覗いてみました。
☆右から:虎寿丸・菊三郎(共に斉彬男子)、斉興夫人(弥姫。周子。賢章院殿)、右には「22代・継豊」の墓
第22代・継豊の墓
その周辺もご案内しましょう。
福昌寺墓地 案内図です。
☆第18代・家久(左奥)、第19代・光久夫婦(中央2基)、第20代・綱貴(右奥)
☆第18代・家久の手前にある、島津綱久(右:第19代・光久の長男で、第20代・綱貴の実父)と、その夫人・真修院殿(松山藩主 久松隠岐守定頼の女子。綱貴実母)
まだ続きますが、今回はこの辺で。
2018年05月17日
福昌寺墓地(2)第21代・島津吉貴公の墓所
前回に続き、今回は島津吉貴公と月桂院殿の墓所を巡ります。

☆久光公の墓所から左手階段を上り左側には島津斉興公と由羅様の墓所。その前に、、

反対側の、階段の右手に進むと、、

☆第21代・島津吉貴公の墓所があります♪
☆下にある画像の左から「吉貴女子(娘)」「重豪後夫人」「吉貴後夫人」。案内図では吉貴公のすぐ下、「吉貴後夫人」とあるのが月桂院の墓

☆その前に見える石碑、土台に亀がいます。

さらに進むと、緑の植え込みの向こうに、、
☆第21代・島津吉貴公のお墓♪ 法名は浄国院殿
☆吉貴公は、第22代・島津継豊の実父
・ざっと遡ると、
継豊→吉貴→綱貴→綱久(綱貴実父で19代・光久の長男)→光久→家久→島津義弘
☆継豊様は元禄十四年(1701年)十二月二十二日に江戸高輪藩邸で生まれますが、父・吉貴様は鹿児島鶴丸城に出生。延宝三年(1675年)九月十七日生まれ
☆継豊を生んだのが、月桂院、即ち名越恒渡(なごや つねただ)の妹、須磨です。
☆先程の亀の石碑の背面に「太子 継豊公 御實母 …云々」と書かれています。
☆須磨様の実家は江戸高輪で豆腐屋を営んでいたそうです→『月桂院とは』

☆吉貴公に関連する記事一覧→https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/c/ccd6a2ee6f842a28c48c217689549bd9

・墓地案内図の第23代・宗信様の上部、夫人の墓の真ん中に「吉貴夫人」とあるのは、おそらく前(さき)の夫人・霊竜院殿(=桑名藩主 松平越中守 定重の女子。福姫)か?(『島津歴代略記』参考)
☆この地図よくよく見ると、上部にある「吉貴実母」に目が止まったので『島津歴代略記』で確認すると、
島津吉貴=綱貴長男。母は二階堂十郎左衛門宣行の女子。お重。蘭室院殿。
とありました。参考までに。
続きを読む
☆久光公の墓所から左手階段を上り左側には島津斉興公と由羅様の墓所。その前に、、
反対側の、階段の右手に進むと、、
☆第21代・島津吉貴公の墓所があります♪
☆下にある画像の左から「吉貴女子(娘)」「重豪後夫人」「吉貴後夫人」。案内図では吉貴公のすぐ下、「吉貴後夫人」とあるのが月桂院の墓
☆その前に見える石碑、土台に亀がいます。
さらに進むと、緑の植え込みの向こうに、、
☆第21代・島津吉貴公のお墓♪ 法名は浄国院殿
☆吉貴公は、第22代・島津継豊の実父
・ざっと遡ると、
継豊→吉貴→綱貴→綱久(綱貴実父で19代・光久の長男)→光久→家久→島津義弘
☆継豊様は元禄十四年(1701年)十二月二十二日に江戸高輪藩邸で生まれますが、父・吉貴様は鹿児島鶴丸城に出生。延宝三年(1675年)九月十七日生まれ
☆継豊を生んだのが、月桂院、即ち名越恒渡(なごや つねただ)の妹、須磨です。
☆先程の亀の石碑の背面に「太子 継豊公 御實母 …云々」と書かれています。
☆須磨様の実家は江戸高輪で豆腐屋を営んでいたそうです→『月桂院とは』
☆吉貴公に関連する記事一覧→https://blog.goo.ne.jp/yuki_bins35/c/ccd6a2ee6f842a28c48c217689549bd9
・墓地案内図の第23代・宗信様の上部、夫人の墓の真ん中に「吉貴夫人」とあるのは、おそらく前(さき)の夫人・霊竜院殿(=桑名藩主 松平越中守 定重の女子。福姫)か?(『島津歴代略記』参考)
☆この地図よくよく見ると、上部にある「吉貴実母」に目が止まったので『島津歴代略記』で確認すると、
島津吉貴=綱貴長男。母は二階堂十郎左衛門宣行の女子。お重。蘭室院殿。
とありました。参考までに。
続きを読む
2018年05月15日
福昌寺墓地(1)国父・島津久光公の墓所
今日からしばらく、鹿児島市上町地区の「福昌寺」跡地にある島津家墓所の画像をアップしたいと思います。
☆昨年6月4日に撮ったものですが、自分でも整理かたがたブログに残しておくことにしました。

何度か訪れた事はあった福昌寺跡の島津家墓所。
去年訪ねた目的は、もう一度『月桂院』様のお墓を確認したかったから。
☆別ブログ「ゆきのおと」をお読みいただけると理由が書いてあります。→『月桂院とは』
☆メインの出入り口の門をくぐり、、

まず、正面に現れるのは、、、
「島津久光公」の墓所

少し左に回り込むと、、、

大階段を昇ると、鳥居手前に大きな石碑。何が書かれているかは読めませんでしたが、久光公の功績を讃えているものと思われます。

迫力あります!
・この石碑越しに鳥居を望む

・さていよいよ久光公の墓前に。


☆両脇の献灯には「島津珍彦(うずひこ)」「北白川宮能久親王妃 富子」などの名前も見受けられます。※能久親王妃 富子=久光養女




・ご挨拶をして辞すると、階段下を見渡せて気持ちの良い空間が広がります。
☆塀の向こう側に見えるのは鹿児島市立玉竜・中高一貫校の校舎。

・ここでもう一度全体図を

☆この奥の階段の先に島津斉彬・久光兄弟の父、島津斉興公と由羅様の墓所があります(→次回以降にて)

☆では、次は島津家第21代・島津吉貴様の墓所へ(続く)
☆昨年6月4日に撮ったものですが、自分でも整理かたがたブログに残しておくことにしました。
何度か訪れた事はあった福昌寺跡の島津家墓所。
去年訪ねた目的は、もう一度『月桂院』様のお墓を確認したかったから。
☆別ブログ「ゆきのおと」をお読みいただけると理由が書いてあります。→『月桂院とは』
☆メインの出入り口の門をくぐり、、
まず、正面に現れるのは、、、
「島津久光公」の墓所
少し左に回り込むと、、、
大階段を昇ると、鳥居手前に大きな石碑。何が書かれているかは読めませんでしたが、久光公の功績を讃えているものと思われます。
迫力あります!
・この石碑越しに鳥居を望む
・さていよいよ久光公の墓前に。
☆両脇の献灯には「島津珍彦(うずひこ)」「北白川宮能久親王妃 富子」などの名前も見受けられます。※能久親王妃 富子=久光養女
・ご挨拶をして辞すると、階段下を見渡せて気持ちの良い空間が広がります。
☆塀の向こう側に見えるのは鹿児島市立玉竜・中高一貫校の校舎。
・ここでもう一度全体図を
☆この奥の階段の先に島津斉彬・久光兄弟の父、島津斉興公と由羅様の墓所があります(→次回以降にて)
☆では、次は島津家第21代・島津吉貴様の墓所へ(続く)
2018年03月18日
照国神社・探勝園を歩く
2008年の1月4日、照国神社の初詣に行った際に、日頃はあまり歩く事の無いところを父とぶらぶらしてみました。
そこで初めて『探勝園』というものがあるのを知り、ちょこっと散策。
当時、mixiのフォトアルバムにアップしたものがあるので、そのままコピペしてみます。
ーーー '08 1月 ーーーー
元日は雪になりました。
神社参拝は4日に。
照国神社の隣にある島津斉彬公や久光公の像など、普段じっくり見ることのなかった縁の数々を眺めてまわりました。
日本で初めての電信がここであったことを発見したり、なかなか有意義な散策でした。☆左奥に見えるのは桜島♪




斉彬公と戊辰の役戦士顕彰碑


斉彬公と社殿


島津久光公の像








久光公とニャンたち



☆『探勝園』の「電信使用ノ地」の石碑




島津忠義公の像





☆照国神社をあとにして、近くに残る「向田邦子居住跡地」へ向かいました



☆照国神社で頂いた干支の置物(子年)



☆おみくじは私の好きな数字で「吉」で、お守りは「招き猫」でした♪
そして、おみくじの内容はこの年に限らず常に心に留めておきたいものでしたよ。


そこで初めて『探勝園』というものがあるのを知り、ちょこっと散策。
当時、mixiのフォトアルバムにアップしたものがあるので、そのままコピペしてみます。
ーーー '08 1月 ーーーー
元日は雪になりました。
神社参拝は4日に。
照国神社の隣にある島津斉彬公や久光公の像など、普段じっくり見ることのなかった縁の数々を眺めてまわりました。
日本で初めての電信がここであったことを発見したり、なかなか有意義な散策でした。☆左奥に見えるのは桜島♪







斉彬公と戊辰の役戦士顕彰碑


斉彬公と社殿


島津久光公の像








久光公とニャンたち



☆『探勝園』の「電信使用ノ地」の石碑




島津忠義公の像





☆照国神社をあとにして、近くに残る「向田邦子居住跡地」へ向かいました



☆照国神社で頂いた干支の置物(子年)



☆おみくじは私の好きな数字で「吉」で、お守りは「招き猫」でした♪
そして、おみくじの内容はこの年に限らず常に心に留めておきたいものでしたよ。



2018年03月15日
清水中学校界隈(大乗院跡)と春日神社
前回、3月12日に『多賀山公園散策 in 2009』としてお知らせ投稿した通り、
2009年11月2日に父と一緒に多賀山公園を散策しましたが、
その後ついでながら、あまり馴染みの無い清水中学校界隈を訪ねてみました♪

指差しているのが、説明文にある「大乗院橋」のようです。

清水中学校正門

こちら↓の画像、実方橋から更に上流へさかのぼると右上に「関吉の疎水溝」があります(2015年に世界文化遺産認定)

その後、春日神社へ

☆ここからは2008年1月25日に撮った春日神社界隈の写真です
薩藩水軍軍港跡
2009年11月2日に父と一緒に多賀山公園を散策しましたが、
その後ついでながら、あまり馴染みの無い清水中学校界隈を訪ねてみました♪
指差しているのが、説明文にある「大乗院橋」のようです。
清水中学校正門
こちら↓の画像、実方橋から更に上流へさかのぼると右上に「関吉の疎水溝」があります(2015年に世界文化遺産認定)
その後、春日神社へ
☆ここからは2008年1月25日に撮った春日神社界隈の写真です

薩藩水軍軍港跡




2018年03月12日
多賀山公園散策 in 2009
2017年07月12日
2017年06月20日
ジョヴァンニ・アレヴィ鹿児島公演
イタリアのピアニストで作曲家のジョヴァンニ・アレヴィさん
鹿児島市での公演が6月27日にあります。
私も行ってその音世界を体感してみたいと思います。
鹿児島市での公演が6月27日にあります。
私も行ってその音世界を体感してみたいと思います。
いいな、これ♪思わず素直に「ふふっ♪」っと。動画見てるうちに笑顔になってる自分に気づく→Giovanni Allevi - Loving You (videoclip ufficiale) https://t.co/Rik5WDJpEz @YouTubeさんから
— Kuro-Mama (@yukie_nagoya) 2017年6月20日
九州での公演は鹿児島でのみだそうですhttps://t.co/2nMC2deNGV→GIOVANNI ALLEVI - Back to life https://t.co/HTd1ulot3p @YouTubeさんから
— Kuro-Mama (@yukie_nagoya) 2017年6月20日

2017年05月04日
かごしまの風と光とナポリ祭へ
今日は父と春の木市に行き、大久保銅像の横を通りアミュ広場でナポリ祭のカンツォーネのステージをちょこっと聴き本会場のナポリ通りに移動途中で共研公園の西郷南洲翁宅地跡碑を初めて確認、今年のナポリ祭のステージを聴いて、維新ふるさと館横の古本市で島尾敏雄と大久保利通関連の本を買って帰った pic.twitter.com/GMi1pEEAyC
— Kuro-Mama (@yukie_nagoya) 2017年5月4日
「今年のナポリ祭最後の」ステージって書きたかったのにミスった。。
今年は叔父は歌わなかったみたい。鹿児島カンツォーネ協会の発起人だけど。
観客席の一番前でドリンク飲んで寛いでたしステージ上演中だったから、声かけずに帰ってきちゃった。
ステージ終わる頃には晴れ間も見えて、皆さんが楽しんでる様子がいい感じでした。
雨振らずによかった♪
今年91歳になる父は、歩き回らされて少々お疲れ気味。つきあわせちゃったけど、それなりに楽しんでくれたかな。
でも、家に独り置いとくと、例えば庭作業してる最中に怪我するんじゃないか(過去に手の甲の皮が剥けた怪我の実績?あり)、とか
暑くなると熱中症も心配だから、どうしても連れて回ってしまうのよね。
親子共々、良い運動になりました。
来年はマイカーじゃなく、バスで行ってワイン飲んでみたいーーー!
来年はひとりでも行っちゃうゾーーー♪
2017年03月24日
ゴンザさん知ってる?
鹿児島のひと。偉業を成した人です。でも、マイナーかも。。。
天文館にゴンザ通りってあるのも、知られてるのかしらん。。

通りには看板があるけど、以前から知られるあのゴンザさんの顔、
実ははあの顔ではないらしいですよ。
ケーブルテレビでやってました。
BTVの番組で。
その番組はヒストリーチャンネルでグランプリを取りました。
第5回ヒストリーアワード
よく取材されていて素晴らしい内容でした。
about ゴンザ
天文館にゴンザ通りってあるのも、知られてるのかしらん。。
通りには看板があるけど、以前から知られるあのゴンザさんの顔、
実ははあの顔ではないらしいですよ。
ケーブルテレビでやってました。
BTVの番組で。
その番組はヒストリーチャンネルでグランプリを取りました。
第5回ヒストリーアワード
よく取材されていて素晴らしい内容でした。
about ゴンザ
2017年03月20日
オープンにしてみる
ミクシィで書いてた過去の記事を、
当時の日付けでアップしてみました。
自分の日記を読み返したくても
いちいちログインしなくては読めないのが面倒に感じて
それならば外ブログに移しちゃおう!と思いつき、
こつこつやっています。
手始めに、こんな感じで↓
☆2007年3月のmixi過去日記より
地元の歴史にまつわる場所を父と散策したことや、
その時々の景色をアップしていこうと考え中。
ま、自分のため、便宜上、ということでもありますが
見直すことで、この頃にはこんなことがあったんだなぁ、と
再発見することも多々あります。
ところで、
今はツイッターやFaceBookなどで気軽につながれるから
ブログを書く人って、減ってるのかな?
ちょこっとブログ散歩していてそんなことを感じました。
ちぇすとブログさん、これからもお世話になりますので
スタッフの皆さんもどうぞ頑張って下さいね〜♪
当時の日付けでアップしてみました。
自分の日記を読み返したくても
いちいちログインしなくては読めないのが面倒に感じて
それならば外ブログに移しちゃおう!と思いつき、
こつこつやっています。
手始めに、こんな感じで↓
☆2007年3月のmixi過去日記より
地元の歴史にまつわる場所を父と散策したことや、
その時々の景色をアップしていこうと考え中。
ま、自分のため、便宜上、ということでもありますが
見直すことで、この頃にはこんなことがあったんだなぁ、と
再発見することも多々あります。
ところで、
今はツイッターやFaceBookなどで気軽につながれるから
ブログを書く人って、減ってるのかな?
ちょこっとブログ散歩していてそんなことを感じました。
ちぇすとブログさん、これからもお世話になりますので
スタッフの皆さんもどうぞ頑張って下さいね〜♪
2017年03月20日
ちぇすとブログを散歩中です
ブログをあちこちに作ってしまって、
それぞれで
ブックマークとかカテゴリーの作り直しなどして
ただ今手入れ中(整理中)なのです。
で、地元の情報にもアンテナを張ろうと作った
この「ちぇすとブログ」
せっかくなので、いろんな方のブログを見て回っています。
無言で読者登録してるかもしれませんが、
怪しいものではありませんのでどうぞよろしくお願いしますね。
では、もう少し散歩して、ブログの手入れを続けてみますか。
それぞれで
ブックマークとかカテゴリーの作り直しなどして
ただ今手入れ中(整理中)なのです。
で、地元の情報にもアンテナを張ろうと作った
この「ちぇすとブログ」
せっかくなので、いろんな方のブログを見て回っています。
無言で読者登録してるかもしれませんが、
怪しいものではありませんのでどうぞよろしくお願いしますね。
では、もう少し散歩して、ブログの手入れを続けてみますか。